エヴァンゲリオン ありがとう。さようなら。

⚠︎ネタバレはありませんが、情報を全く入れたくない方はお控えください。

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最後のエヴァに相応しい、素晴らしい映画でした。

『ありがとう』

映画が終わった時、この感想しか浮かびませんでした。

新たに新劇を作ってくれたこと。素晴らしい最後を迎えてくれたこと。

25年もの間、エヴァを楽しませてくれたこと。エヴァに出会わせてくれたこと。

エヴァに関わる全てのことに。

 

何か大きなものが自分の中で終わり、新たに何か始まっていくような。漠然とそんな気持ちになりました。ちょうど学生時代の卒業式みたいな感覚です。寂しさと晴れやかさが入り混じったような。

これまでエヴァを見てきた人たちなら、感じたことがないほどのカタルシスを感じると思います。また、映画を見ている人たちとそれを共有している感覚も味わえました。

 

 

公開から3日経ちましたが、まだ感想を書けるほど頭がまとまっていません。ですが、書きたい気持ちが抑えられませんでした。

 

ありがとうカラー・庵野総監督

さようならエヴァンゲリオン

 

GREAT PRETENDER

Netflix先行配信のアニメです。

アニメ版スティングといった感じで毎回どんでん返しが待っています。

軽快で見ていて疲れる事がなく、思わず一気見してしまうような作品でした。

また、背景のデザインが素晴らしく、見ていて面白いです。世界中の様々な観光地が出てきますが、それぞれの特色にあった色合いで、全くリアルな絵ではないにも関わらず、その地域の雰囲気を感じられます。

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CASE2のマーライオンパーク

 

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同じくマリーナベイサンズ


なんというかチープな感はありますが、現地の空気が伝わってくるような絵です。この背景も見やすさの一因かもしれないです。

キャラクター達も魅力的で、一癖も二癖もあり一度見ると忘れられないようなキャラクターばかりです。

 

気軽に見れて、アニメアニメしていないので普段アニメを見ない方にもオススメできる作品だと思います。是非是非。

逃亡者 中村文則

本に関してのブログは初めてです。

私は本というメディアは、読む側の自由度がかなり高いと思っています。音も映像も画像すらないので当然といえば当然ですが。

それゆえ、作者の意図した読み方と異なる読み方をしてしまう事が多々あります。同じ本でも感じることは人それぞれだと思っています。それは間違った事ではないし、誰かに咎められる事でもないと思います。むしろ本というメディアの面白さの一つでしょう。

特に最近の小説は読み手に物語の終わりを放り投げるようなものが多いと思います。つまり、完全な完結をせずに終わってしまう小説が多いという事です。作者は物語の骨格のみを読み手に与え、読み手が物語を完全なものにする。といったよう感じです。わざとに読み手に自由を与えているというわけです。

 

少し長くなりましたが以下に本の感想を書きたいと思います。

初めての本についてのブログなので始めに私にとっての本とはどういうものかを書かせていただきましたが、今回の逃亡者は作者の意図が明確で、ダイレクトに伝わってきます。難しい小説ではありますが、読み手の解釈は似たり寄ったりだと思います。

 

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私はこの小説を読み切るのに約2ヶ月かかてしまいました。様々な理由がありますが、一番の要因はこの小説が歴史では隠れキリシタン第二次世界大戦。現代では政権批判にSNSまで、多くの問題を扱っている為だと思います。正直、読書をしたというよりは勉強をした。というような感じです。とても500ページには収まらないような内容が収められています。そのため内容が濃密で、気軽に読む事もできず、読みきるのに時間がかかってしまいました。

 

この小説の内容は、第二次世界大戦中の日本やキリスト教を禁じた頃の日本を振り返り、現代でまたその歴史の片鱗が現れ始めていることに私たちは危機感を持たなければならない。といった内容になっており、その片鱗に争う主人公が描かれます。そして終盤にこんな言葉があります。

君達は、このまま敗北し続けていくだろう。人権や多様性と言いながら、敗北していくだろう。黒人達のために立ち上がった、キング牧師の言葉を知っているだろう?『最大の悲劇は、悪人達の圧政や残酷さではなく、善人達の沈黙である』……君達は善人達の沈黙に負けるだろう

 小説の重要な部分だと思います。

とても耳の痛い話です。私自身、人権や自由は大切なものとは分かっているものの、何も行動しない多くの人々のうちの一人だからです。

そして私のような人々のせいで、世界は徐々に自由を失っていくのでしょう。

 

私たちは行動しなければならないのでしょう。

私は何ができるでしょう。 あなたは何をしますか?

 

 

逃亡者

逃亡者

  • 作者:中村 文則
  • 発売日: 2020/04/16
  • メディア: 単行本
 

 

とらドラ!とテレビアニメ

【短い感想なので目次なしです。すいません】

今年の夏も暑いです。

またまたアニメーションの話です。

というのも、これだけ暑いと本を読もうにも頭が働きません。

エアコンを使えればいいんですが、クーラーは頭が痛くなってしまいます。

そんな感じで、私にとって夏は映画とアニメを見る季節になっています。

特に今年は外に遊びに行くのも憚られますので。

 

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前書きはこんな感じで。

かなり昔に知人に勧められて、Netflixのマイリスに眠っていた『とらドラ!』をやっと観終わりました。そろそろ観ないとラインナップから消すぞというNetflixからの脅しも効きました。

いやぁ、面白かったです。特に後半の怒涛の展開はすごかったです。

10話連続で観てしまいました。

1話目を観れば最後にどうなるのか分かってしまうようなテンプレートな物語なんですが、退屈させないどころか魅せられてしまうのは何故なんでしょう。

 

このアニメは全ての人物が心情を隠そうとしません。どれだけ鈍感な人が観ても、その時々の人物の相関図が手に取るようにわかると思います。いわゆる匂わせみたいな事が皆無です。これはメリットデメリットがはっきり出てしまう表現方法だと思っていて、デメリットからいえば作品に深みと意外性がなくなってしまいます。個人的には何も考えずにボーっと観る事ができ、楽は楽なんですが。まあ、とらドラ!の場合は日常の要素も強いのでそこまでのデメリットにもならない気もします。

 

メリットはやはりストーリーとしての熱量を込めやすい点でしょう。

この作品はそれぞれの友達、恋愛相手への想いが空回りしてしまい、皆それぞれ思い悩むといった感じのストーリーなんですが、それぞれの心情がよく分かっている事で、全員に共感し、ついつい応援したくなってしまいます。

 

それから、ついつい覚えて使いたくなってしまうような、独特の言い回しがいくつか出てきました。物語シリーズなどでもよくありますが、私の好みです。

 

これは全くもってどうでもいい話何ですが、2クールぶち抜きで潔く終わるのがテレビアニメはベターなんじゃないかと最近思っています。

これ以上長いと明らかにダレてきますし、展開上長すぎるのも如何なものかと思います。もちろん上手くいっている作品もありますが、名作と呼ばれるものは2クールまでには終わっている印象です。

 

 

天気の子 感想

 

前に書いた『君の名は。』に引き続いて、『天気の子』の良かったところ、悪かったところを書こうと思う。

結論から書いてしまうと、とても面白かった。ブルーレイで三回見直したし、映画館で観なかったのを後悔した。

 

(↓一応こちらのレビューの続きとして書くので読んでくださると幸いです)

 

 

 

 

悪かったところ

 

 

登場人物の浅さ(主に主人公)

君の名は。』に続いて、主人公たちが薄っぺらい。

例えば、主人公の森嶋穂高は家出少年である。それも離島からフェリーに乗ってまで家出している。家出の理由は、「息苦しい」である。

理由が悪いわけではないのだが、これは物語の起点となっている部分である。

もう少し掘り下げてくれないと、穂高が島でどのような生活を送っていたのかわからないし、ひいては主人公の人物像が浮かんでこない。

この家出のエピソードが、物語に全く絡んでこないのも良くない。家出が物語を始めるうえで必要だったから、穂高には家出をしてもらった。そのようにしか見えない。

物語の起点である以上、穂高なりの答えを用意して欲しかった。

主人公のバックグラウンドの描写不足と、苦悩や考えの無さ、つまりは成長の無さが、主人公を人間味のない薄い人物にしてしまっている。

 

ヒロインの天野陽菜も同様である。

陽菜は作中で母親を失っている。だが、それに対して思い悩んだりしているシーンがない。14歳の子が唯一の親を失っているのに、あまりにさっぱりしすぎている。

そもそも彼女が天気の巫女になったのも母親の病気が大きく関係している。これもまた穂高の家出と同じく、物語の起点となっている部分なのである。対して陽菜と母親の関係性というものが全く描かれていない。天気の巫女になるに相応しい理由をつけるために、母親が亡くなるエピソードを拵えたように見えてしまう。

 

また、天気の巫女は人柱であるという悲しい運命を背負っている。彼女が人柱として、人々の犠牲になるということに対する彼女自身の葛藤が全く描かれていない。

確かに陽菜は作中では穂高をリードする強い女性として描かれているが、自分の死に対する思いをもう少し描いて欲しかった。

 

 

序盤の引き

個人的に最もがっかりした要素。『君の名は。』は、序盤の構成が上手だったので終盤まで物語に引き込まれ、集中して最後まで楽しめた。対して『天気の子』は明らかに序盤がつまらない。

君の名は。』では入れ替わりが起きる事でのインパクトや「この入れ替わりが物語にどう繋がって行くんだろう」という疑問など、多くの点で観客を魅了し引きつけることに成功していると思う。

対して『天気の子』では、序盤に観客を引きつけるものがない。序盤に須賀さんや、夏美さんとの日常生活を描くことで、後半の2人の行動の動機づけになり、物語として違和感なく接続できているのはいいのだが、映画全体を通して序盤がのっぺりしてしまっている。序盤で眠たくなったり、面白くないかも……と思った人は多いだろう。

問題提起がなく、特に山場もない。人物に焦点を当てすぎたせいで、掴みが弱くなってしまっている。

これは『君の名は。』から大きく劣ってしまった点だと思う。

 

 

 

良かったところ、面白かったところ

ここまで私の思う欠点を書いたが、ここからやっと良かったところを書く。

正直、『天気の子』は面白かったので欠点を書いているときは筆が進まなかった。

 

 

作画

新海誠監督と言えば作画。綺麗なのはもちろん、見ているだけでワクワクする。

凄いのは更に進化していること。

今回は雨のシーンが多かったが、『言の葉の庭』と比べてみると更に雨の表現が上手くなっているのがよく分かる。

光と影の使い方も新海誠監督独特で、思わず感動してしまう。

 

 

音響

個人的に新海誠監督の作品で一番好きな点なのが音の使い方である。

SEとBGMの使い方が巧みで、上手く感動シーンを演出できている。

それぞれのIN,OUTのタイミングが良いのはもちろん、それぞれの音量も絶妙で、セリフを際立たせたり、曲を際立たせたりさせている。当然、RADWIMPSの曲がいいことも起因している。

例を挙げるなら、やはり穂高が陽菜を救いに廃ビルの鳥居を潜ってからの一連のクライマックスシーンだろう。本当に音の使い方が上手で、何度見ても感動してしまう。

RADWIMPSの『グランドエスケープ』もシーンと呼応し、マッチしている。

 

 

世間と主人公たちの対立構造

 この物語は世間と主人公たちの関係、距離感が大きなテーマになっている。

それは最終的に東京と陽菜のどちらを選択するかという問題に繋がっていく。

 対立構造を描くうえで、『天気の子』では一般人の描写が多く入っている。

序盤では、主人公に冷たくする接する東京の人々が描かれた。

中盤では、天気を晴れにすることで感謝され、人々を明るくした。

終盤では、人柱のおかげで夏が戻ってきたのに、何も知らない人々。線路を走る穂高をバカにする人々など。

彼らの存在が、穂高たちの位置を掴みやすくしてくれている。客観的視点で見たとき、主人公たちはどう見えるのかを、彼らが教えてくれている。

 そして、世間と主人公たちの関係を語るうえで、重要な役割を果たすのが須賀さんである。須賀さんは世間の人々の代弁者としてのシーンが多い。

「人柱一人で狂った天気が戻るんなら、俺は大歓迎だけどね。てか、みんなそうだろ」の発言であったり、クライマックスでは空の世界を否定し、穂高を止めようとする。

最終的には穂高の熱に押され、穂高と自分を重ねて、やっぱり味方についてくれるわけだが。

恐らく『天気の子』は、世間と穂高の対立関係がテーマにあると思う。

そして、世間の代表として穂高に接するのが須賀さんなのだ。

この構図はとても分かりやすいうえに、面白いと感じた。更に言えば、最終的に世間に対立し、穂高に協力する須賀さんの姿はとてもカッコ良かった。

最後ギリギリまで世間代表として穂高に接したが、最後に世間に対立しようとする穂高を後押しした人物が須賀さんなのだ。

 

 

異常気象という題材

君の名は。』に引き続き、天災がテーマとなっている。『君の名は。』は東日本大震災が作品に影響していると前の記事に書いた。

対して、今回は異常気象である。『天気の子』も最近の異常気象が関係があるのかもしれない(発表のタイミングから平成30年7月豪雨とは無関係だろう)。

しかし、『君の名は。』と大きく異なるのは、最終的に災害を防がないという点。

どころか主人公こそが災害を止めなかった張本人である。

 私個人としては『君の名は。』のときのように、人々に元気を与えてくれるような結末を期待していたので、少し残念に思う。(特に令和2年現在では異常気象による被害者の方が多いため、そう思うのかもしれない)

ただ、前作と同様に、人々が関心を寄せる題材であることは間違いない。

 もし、本当に社会問題をテーマとして映画を作っているなら、次作はウイルスに関するものなのかもしれない。そうであったなら、『君の名は。』が震災後の日本を元気づけたように、ウイルス被害後の世界を元気づけられるような作品を期待している。

 

 

まとめ

『天気の子』 はとてもいい作品だった。観客を魅了する力は前作より劣っていると感じたが、前作から進化した点もいくつか見られた。

次作をとても期待している。

『君の名は。』 面白いところ 面白くないところ

最近はコロナウイルスの影響で、映画館に行くことすらできない。

それでも、どうしても映画が観たい。

ということで、以前からオススメされていた『天気の子』を今更ながら借りてきた。

 

もちろん今まで観ていなかったのには理由があって、大ヒットした前作の『君の名は。』が、どうしても私には響かなかったからである。

多くの人が楽しめて自分は楽しめない。と言うのは、ものすごく勿体なく、寂しい事だと私は思う。

だから私は、どうして自分にはウケなかったのかを考えた。

先ずは『君の名は。』のレビューから始めたいと思う。

正直、今更『君の名は。』について書いたところで(『天気の子』もだが)需要は皆無だろうが、お付き合い願いたい。

 

 

 

 

はじめに

君の名は。』は最初から最後まで、ものすごい熱量で進んで行く。私は映画の熱量が起こす渦にみるみる引き込まれ、エンディングまで食い入るように観ていた。

なのに、観終わって映画館を出て、熱が冷めてくると違和感があった。

私は本であれ、映画であれ、読了感や余韻を大事にしている。もちろん観ている最中の面白さも重要である。しかし、観終わった後に登場人物たちが何を思い、どうしてその行動をしたのか。それを考えるのが好きなのだ。

さて、『君の名は。』について私が考えた時、正直何も思いつかなかった。どうして何も思いつかないのかも分からなかった。ただぼんやりと「皆が言うほどおもしろいのか?」と言う疑問があり、それは観終わってから時間が経つにつれ強固になっていった。

ここまで書くと「お前、観てる時楽しんでただろ!?」とツッコミたくなるが、要するに観終わった後の余韻が悪いのだ。いや、良い悪いではなく無いといった感じか。

あまりにも分からなかったので、私は再び『君の名は。』を観に行くことにした。

そして、どうして自分に合わなかったのかに気づいた。

 

 

 

良く無かったところ

 

登場人物の浅さ

君の名は。』の登場人物達はとにかく薄っぺらいのだ。

主人公を高校生に設定する以上、思春期特有の悩みや、何かを乗り越えて成長して行く姿を描いて欲しい。この映画は良く言えばテンポよく、悪く言えば都合よく進みすぎている。よって登場人物達が悩み、成長して行く過程が皆無なのだ。

男性主人公の立花瀧

彼が物語の中で葛藤する場面は無いし、何かを通じて成長して行くということもない。

さらに言えば彼の心理描写が少なすぎて、なぜそこまで宮水三葉を想うことになったのか理解できない。ある程度テンプレに添っている物語なため、初めて観ているときはそこまで気にはならなかったが、改めて見直すと彼は突然三葉に恋をしたとしか思えない。

二時間という限られた時間の中で惹かれ合う描写をするのは難しいが、後半に違和感なく接続して行くには、瀧が三葉を意識するようなインパクトのあるシーンが欲しいところだ。

加えて、瀧は父親との二人暮らしで母親がいないのだが、それに関してどうこうの描写が無い。

母親がいない主人公を描く場合、当然それに対するコンプレックスを描くことになる。

つまり無駄な設定であると言わざるを得ない。

 

もっとも気になったのは、瀧のバイト先の先輩である奥寺ミキの存在。

映画の前半で瀧が恋をしている相手なだけあって、(CV長澤まさみも相まって)存在感を放っている。しかし、このキャラクターは後半になると一切登場しない。途中で消えてしまうのだ。新海誠監督がプロット否定派ではないならもう少し練って欲しいところだ。

奥寺ミキという存在をまとめたときに、どうしても違和感を拭えない。

 

例として二人を挙げたが、これは登場人物の殆どに当てはまる。

キャラクターの掘り下げが浅すぎるが為に、キャラクター一人一人がどのような考えの下、どうしてその行動をするのかが分からない。人間味がない。

加えて、主人公二人を除いたキャラクター達は便利屋で、物語にいいように利用されるだけである。

これが『君の名は。』の最も大きな問題点だろう。

 

 

型にはまりすぎている

君の名は。』を楽しめなかった人の多くは、普段からアニメやライトノベルといったサブカスチャーに触れる機会が多い人達ではないだろうか。

そのような人達は、この映画のストーリー展開やキャラクター、セリフまわしに目新しさを感じられないと思う。いわゆるテンプレにはまっていて、既視感があるのだ。

私はテンプレにハマるのは悪いことでは無いと考えている。テンプレとは即ち様式美であり、先人たちが創り上げた人々にウケるための教科書だ。

しかしながら、徹底徹尾テンプレに則って進むのは良くない。作品の中でいくつかその作品独自の新しいものを入れる必要がある。君の名は。』には新しいものが感じられなかった。

 

 

 

良かったところ

ここまで私がハマれなかった理由を書いたが、この映画は良いところが五万とある。ここでは長くなるので箇条書きで記し、気になる点のみ別で書こうと思う。

  • 映画としての熱量。引き込み。
  • 恐ろしいほどに綺麗で緻密な絵。そしてその表現力。絵だけでも感動できる。
  • RADWIMPSの劇中音楽
  • 音の使い方。特に無音。
  • あまりにも違和感のないCG
  • THE青春
  • 震災との関係性

 

作画

まずは絵。これだけで見る価値が生まれる。絵を見ているだけでワクワクできる作品はそうそうない。新海誠監督はその中でもピカイチだと断言できる。

実物とそっくりでありながら、アニメーション作画としての良さが溢れ出ている。

アニメーションの作画は現実に近ければいいというものではないと私は思っている。

アニメーションにしかできない表現があるし、その為には現実から離れなければならないことがある。

しかし、新海誠監督の場合は現実を忠実に描いているのだが、その中にアニメーションの良さが詰まりに詰まっている。これができるのは新海誠監督だけだと私は思う。

だから新海誠監督の関わったCM(大成建設)は一瞬で気付くことができるのだ。

 

 

RADWIMPS

これは賛否両論あるようだが、私はとても良かったと感じた。

最近の日本のアーティストは音作りが致命的に下手であるが、映画を見る限りいい音だった。映画のサウンドチームが優秀だったのもあるだろう。

楽曲自体もとても良かった。

 

 

音の使い方

巧い。上手すぎる。

この映画で感動させられるシーンは必ずと言っていいほど音を巧みに操っている。

例えば、ガンガンにかかっていたBGMとSEを急に“パッ”と無くしてしまう。これによりとても効果的な無音が生まれている。観客は次の一言に釘付けになってしまう。

また、セリフ抜きであったり、SE抜きであったりというシーンも多く、そのどれもが効果的な演出となっている。音を抜いてしまうというのは、とてもリスクのある演出であるが、これは大成功と言えるだろう。

 

 

震災との関係性

このことに関しては映画そのものの評価とは違うような気がしたので、書くか迷ったが、『君の名は。』の大ヒットの裏には欠かせない要素の一つだと考えたので記すことにした。

東日本大震災以来、日本人の心には大きな傷があったと思う。多くの方が大切な人や場所を失うことになった。そしてそれは、熊本地震でさらに深くなり、人々は次は自分の番なのではと考えただろう。

君の名は。』はそんな人々の心を救ってくれる一つの要因となったのではないだろうか。

いうまでもなく、この作品は天災から人々を守るストーリーとなっている。

人々は彗星と震災を重ねて見てしまっただろう。その自然災害から自分の大切な人を守るというストーリーが人々の心に大きく響いたのだと思う。

 

【3.11】『君の名は。』新海誠監督が語る 「2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきた」 | ハフポスト

↑こちらの記事で新海誠監督が震災について触れている。

 

 

 

まとめ

このように『君の名は。』には良い点が多い中で、少し目立つ粗がある。

やはり過大評価されすぎているきらいがあるように感じるが、日本の長編アニメという土俵には宮崎駿監督や細田守という大人物が多すぎるわけで、そういう人達と比べないのであれば大作と言って間違いはないのかもしれない。

そうは言っても土俵が同じである以上、比べられるのもまた当然なわけで。

私は新海誠監督が人間の葛藤や成長を描けるようになれば、大化けするのでは?と考えている。

君の名は。』のブレイクでポスト宮崎駿監督と言われたりしているが、ポストと呼ぶにしても今はまだ実力不足だろう。

ただ、この映画の観客を引き込む力、疾走感、そして若者たちの青春感には目を見張るものがある。「自分もこんな青春を送れていたらなぁ」と思わずにはいられない。

 

どちらかと言うとマイナス面を強調してこのブログを書いてしまったが、これは自分の天邪鬼さにも大きく起因していることを否定することはできない。新海誠監督、ファンの方、この天邪鬼をお許しください。

 

 

 

 

 




『好きなことが分からない』 好きなことを見つけるために

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好きなことが分からない、将来やりたいことが見つからない。

最近、特に若い人にこのような方が増えてきています。

好きなことを仕事にするこの時代。とっても勿体無いことだと思いませんか?

子供の頃は好きなことってパッ思いつきましたよね。

いつから自分の好きなことが分からなくなってしまったのでしょう?

 

 

 

 

 

 

どうして好きなことが分からくなったのか

好きなことが分からない人の殆どは、周りをよく見て周囲の人達とうまくやって行く能力に長けています。

これは一見すると素晴らしい能力ですが、自分の考え、気持ちを育てる上ではマイナスになりかねません。

「君子は和して同ぜず」

周囲に合わせるにしても自分の意見を持つことが重要です。

周りの意見に流されて、自分の芯を曲げてしまっていませんか?

自分の芯を曲げ続けてしまうと、周囲の意見が自分の意見になってしまいます。

自分の主張を持てなくなってしまうわけです。

 

自分の感想を持つ

具体的に何をすることで自分の「好き」取り戻すのか。

まずは身の回りの物事に「美味しかった」「面白かった」 「つまらなかった」などの簡単な感想を意識的に言ってみましょう。

映画を見たとき。本を読んだとき。ご飯を食べたとき。散歩をしたとき。

意識すれば必ず何か感じるはずです。

慣れてきたら、次はもっと具体的に。

あなたはどこを気に入ったのか。または気に入らなかったのか。

気に入るからには必ず理由があり、気に入らないものにもまた理由があります。

その理由を見つけましょう。

「塩加減が丁度良くて美味しい」

「登場人物に魅力を感じない」

などなど簡単なことです。

映画にしても、本にしても作品と言うのは感想を持ちやすいものだと思います。

日々物事に対し、意識的に自分の意見を持つことによって、自分の感情に敏感になり、ひいては好きなことを見つけることに繋がると私は考えています。

 

まとめ

ここまで読んでくださった方ならわかると思いますが、ここに記したのは好きなことを見つける方法ではなく、好きに敏感になる方法です。

しかしながら、好きに敏感になることこそが、好きなことを見つけるために必要なことなのです。

私はこれを実践することで自分の好きなことを見つけることができました。

そしてこのブログは様々な作品を通して、自分の好きをより深く掘り下げ行く場として利用していきたいと考えています。