『君の名は。』 面白いところ 面白くないところ
最近はコロナウイルスの影響で、映画館に行くことすらできない。
それでも、どうしても映画が観たい。
ということで、以前からオススメされていた『天気の子』を今更ながら借りてきた。
もちろん今まで観ていなかったのには理由があって、大ヒットした前作の『君の名は。』が、どうしても私には響かなかったからである。
多くの人が楽しめて自分は楽しめない。と言うのは、ものすごく勿体なく、寂しい事だと私は思う。
だから私は、どうして自分にはウケなかったのかを考えた。
先ずは『君の名は。』のレビューから始めたいと思う。
正直、今更『君の名は。』について書いたところで(『天気の子』もだが)需要は皆無だろうが、お付き合い願いたい。
はじめに
『君の名は。』は最初から最後まで、ものすごい熱量で進んで行く。私は映画の熱量が起こす渦にみるみる引き込まれ、エンディングまで食い入るように観ていた。
なのに、観終わって映画館を出て、熱が冷めてくると違和感があった。
私は本であれ、映画であれ、読了感や余韻を大事にしている。もちろん観ている最中の面白さも重要である。しかし、観終わった後に登場人物たちが何を思い、どうしてその行動をしたのか。それを考えるのが好きなのだ。
さて、『君の名は。』について私が考えた時、正直何も思いつかなかった。どうして何も思いつかないのかも分からなかった。ただぼんやりと「皆が言うほどおもしろいのか?」と言う疑問があり、それは観終わってから時間が経つにつれ強固になっていった。
ここまで書くと「お前、観てる時楽しんでただろ!?」とツッコミたくなるが、要するに観終わった後の余韻が悪いのだ。いや、良い悪いではなく無いといった感じか。
あまりにも分からなかったので、私は再び『君の名は。』を観に行くことにした。
そして、どうして自分に合わなかったのかに気づいた。
良く無かったところ
登場人物の浅さ
『君の名は。』の登場人物達はとにかく薄っぺらいのだ。
主人公を高校生に設定する以上、思春期特有の悩みや、何かを乗り越えて成長して行く姿を描いて欲しい。この映画は良く言えばテンポよく、悪く言えば都合よく進みすぎている。よって登場人物達が悩み、成長して行く過程が皆無なのだ。
男性主人公の立花瀧。
彼が物語の中で葛藤する場面は無いし、何かを通じて成長して行くということもない。
さらに言えば彼の心理描写が少なすぎて、なぜそこまで宮水三葉を想うことになったのか理解できない。ある程度テンプレに添っている物語なため、初めて観ているときはそこまで気にはならなかったが、改めて見直すと彼は突然三葉に恋をしたとしか思えない。
二時間という限られた時間の中で惹かれ合う描写をするのは難しいが、後半に違和感なく接続して行くには、瀧が三葉を意識するようなインパクトのあるシーンが欲しいところだ。
加えて、瀧は父親との二人暮らしで母親がいないのだが、それに関してどうこうの描写が無い。
母親がいない主人公を描く場合、当然それに対するコンプレックスを描くことになる。
つまり無駄な設定であると言わざるを得ない。
もっとも気になったのは、瀧のバイト先の先輩である奥寺ミキの存在。
映画の前半で瀧が恋をしている相手なだけあって、(CV長澤まさみも相まって)存在感を放っている。しかし、このキャラクターは後半になると一切登場しない。途中で消えてしまうのだ。新海誠監督がプロット否定派ではないならもう少し練って欲しいところだ。
奥寺ミキという存在をまとめたときに、どうしても違和感を拭えない。
例として二人を挙げたが、これは登場人物の殆どに当てはまる。
キャラクターの掘り下げが浅すぎるが為に、キャラクター一人一人がどのような考えの下、どうしてその行動をするのかが分からない。人間味がない。
加えて、主人公二人を除いたキャラクター達は便利屋で、物語にいいように利用されるだけである。
これが『君の名は。』の最も大きな問題点だろう。
型にはまりすぎている
『君の名は。』を楽しめなかった人の多くは、普段からアニメやライトノベルといったサブカスチャーに触れる機会が多い人達ではないだろうか。
そのような人達は、この映画のストーリー展開やキャラクター、セリフまわしに目新しさを感じられないと思う。いわゆるテンプレにはまっていて、既視感があるのだ。
私はテンプレにハマるのは悪いことでは無いと考えている。テンプレとは即ち様式美であり、先人たちが創り上げた人々にウケるための教科書だ。
しかしながら、徹底徹尾テンプレに則って進むのは良くない。作品の中でいくつかその作品独自の新しいものを入れる必要がある。『君の名は。』には新しいものが感じられなかった。
良かったところ
ここまで私がハマれなかった理由を書いたが、この映画は良いところが五万とある。ここでは長くなるので箇条書きで記し、気になる点のみ別で書こうと思う。
- 映画としての熱量。引き込み。
- 恐ろしいほどに綺麗で緻密な絵。そしてその表現力。絵だけでも感動できる。
- RADWIMPSの劇中音楽
- 音の使い方。特に無音。
- あまりにも違和感のないCG
- THE青春
- 震災との関係性
作画
まずは絵。これだけで見る価値が生まれる。絵を見ているだけでワクワクできる作品はそうそうない。新海誠監督はその中でもピカイチだと断言できる。
実物とそっくりでありながら、アニメーション作画としての良さが溢れ出ている。
アニメーションの作画は現実に近ければいいというものではないと私は思っている。
アニメーションにしかできない表現があるし、その為には現実から離れなければならないことがある。
しかし、新海誠監督の場合は現実を忠実に描いているのだが、その中にアニメーションの良さが詰まりに詰まっている。これができるのは新海誠監督だけだと私は思う。
だから新海誠監督の関わったCM(大成建設)は一瞬で気付くことができるのだ。
RADWIMPS
これは賛否両論あるようだが、私はとても良かったと感じた。
最近の日本のアーティストは音作りが致命的に下手であるが、映画を見る限りいい音だった。映画のサウンドチームが優秀だったのもあるだろう。
楽曲自体もとても良かった。
音の使い方
巧い。上手すぎる。
この映画で感動させられるシーンは必ずと言っていいほど音を巧みに操っている。
例えば、ガンガンにかかっていたBGMとSEを急に“パッ”と無くしてしまう。これによりとても効果的な無音が生まれている。観客は次の一言に釘付けになってしまう。
また、セリフ抜きであったり、SE抜きであったりというシーンも多く、そのどれもが効果的な演出となっている。音を抜いてしまうというのは、とてもリスクのある演出であるが、これは大成功と言えるだろう。
震災との関係性
このことに関しては映画そのものの評価とは違うような気がしたので、書くか迷ったが、『君の名は。』の大ヒットの裏には欠かせない要素の一つだと考えたので記すことにした。
東日本大震災以来、日本人の心には大きな傷があったと思う。多くの方が大切な人や場所を失うことになった。そしてそれは、熊本地震でさらに深くなり、人々は次は自分の番なのではと考えただろう。
『君の名は。』はそんな人々の心を救ってくれる一つの要因となったのではないだろうか。
いうまでもなく、この作品は天災から人々を守るストーリーとなっている。
人々は彗星と震災を重ねて見てしまっただろう。その自然災害から自分の大切な人を守るというストーリーが人々の心に大きく響いたのだと思う。
【3.11】『君の名は。』新海誠監督が語る 「2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきた」 | ハフポスト
↑こちらの記事で新海誠監督が震災について触れている。
まとめ
このように『君の名は。』には良い点が多い中で、少し目立つ粗がある。
やはり過大評価されすぎているきらいがあるように感じるが、日本の長編アニメという土俵には宮崎駿監督や細田守という大人物が多すぎるわけで、そういう人達と比べないのであれば大作と言って間違いはないのかもしれない。
そうは言っても土俵が同じである以上、比べられるのもまた当然なわけで。
私は新海誠監督が人間の葛藤や成長を描けるようになれば、大化けするのでは?と考えている。
『君の名は。』のブレイクでポスト宮崎駿監督と言われたりしているが、ポストと呼ぶにしても今はまだ実力不足だろう。
ただ、この映画の観客を引き込む力、疾走感、そして若者たちの青春感には目を見張るものがある。「自分もこんな青春を送れていたらなぁ」と思わずにはいられない。
どちらかと言うとマイナス面を強調してこのブログを書いてしまったが、これは自分の天邪鬼さにも大きく起因していることを否定することはできない。新海誠監督、ファンの方、この天邪鬼をお許しください。