天気の子 感想

 

前に書いた『君の名は。』に引き続いて、『天気の子』の良かったところ、悪かったところを書こうと思う。

結論から書いてしまうと、とても面白かった。ブルーレイで三回見直したし、映画館で観なかったのを後悔した。

 

(↓一応こちらのレビューの続きとして書くので読んでくださると幸いです)

 

 

 

 

悪かったところ

 

 

登場人物の浅さ(主に主人公)

君の名は。』に続いて、主人公たちが薄っぺらい。

例えば、主人公の森嶋穂高は家出少年である。それも離島からフェリーに乗ってまで家出している。家出の理由は、「息苦しい」である。

理由が悪いわけではないのだが、これは物語の起点となっている部分である。

もう少し掘り下げてくれないと、穂高が島でどのような生活を送っていたのかわからないし、ひいては主人公の人物像が浮かんでこない。

この家出のエピソードが、物語に全く絡んでこないのも良くない。家出が物語を始めるうえで必要だったから、穂高には家出をしてもらった。そのようにしか見えない。

物語の起点である以上、穂高なりの答えを用意して欲しかった。

主人公のバックグラウンドの描写不足と、苦悩や考えの無さ、つまりは成長の無さが、主人公を人間味のない薄い人物にしてしまっている。

 

ヒロインの天野陽菜も同様である。

陽菜は作中で母親を失っている。だが、それに対して思い悩んだりしているシーンがない。14歳の子が唯一の親を失っているのに、あまりにさっぱりしすぎている。

そもそも彼女が天気の巫女になったのも母親の病気が大きく関係している。これもまた穂高の家出と同じく、物語の起点となっている部分なのである。対して陽菜と母親の関係性というものが全く描かれていない。天気の巫女になるに相応しい理由をつけるために、母親が亡くなるエピソードを拵えたように見えてしまう。

 

また、天気の巫女は人柱であるという悲しい運命を背負っている。彼女が人柱として、人々の犠牲になるということに対する彼女自身の葛藤が全く描かれていない。

確かに陽菜は作中では穂高をリードする強い女性として描かれているが、自分の死に対する思いをもう少し描いて欲しかった。

 

 

序盤の引き

個人的に最もがっかりした要素。『君の名は。』は、序盤の構成が上手だったので終盤まで物語に引き込まれ、集中して最後まで楽しめた。対して『天気の子』は明らかに序盤がつまらない。

君の名は。』では入れ替わりが起きる事でのインパクトや「この入れ替わりが物語にどう繋がって行くんだろう」という疑問など、多くの点で観客を魅了し引きつけることに成功していると思う。

対して『天気の子』では、序盤に観客を引きつけるものがない。序盤に須賀さんや、夏美さんとの日常生活を描くことで、後半の2人の行動の動機づけになり、物語として違和感なく接続できているのはいいのだが、映画全体を通して序盤がのっぺりしてしまっている。序盤で眠たくなったり、面白くないかも……と思った人は多いだろう。

問題提起がなく、特に山場もない。人物に焦点を当てすぎたせいで、掴みが弱くなってしまっている。

これは『君の名は。』から大きく劣ってしまった点だと思う。

 

 

 

良かったところ、面白かったところ

ここまで私の思う欠点を書いたが、ここからやっと良かったところを書く。

正直、『天気の子』は面白かったので欠点を書いているときは筆が進まなかった。

 

 

作画

新海誠監督と言えば作画。綺麗なのはもちろん、見ているだけでワクワクする。

凄いのは更に進化していること。

今回は雨のシーンが多かったが、『言の葉の庭』と比べてみると更に雨の表現が上手くなっているのがよく分かる。

光と影の使い方も新海誠監督独特で、思わず感動してしまう。

 

 

音響

個人的に新海誠監督の作品で一番好きな点なのが音の使い方である。

SEとBGMの使い方が巧みで、上手く感動シーンを演出できている。

それぞれのIN,OUTのタイミングが良いのはもちろん、それぞれの音量も絶妙で、セリフを際立たせたり、曲を際立たせたりさせている。当然、RADWIMPSの曲がいいことも起因している。

例を挙げるなら、やはり穂高が陽菜を救いに廃ビルの鳥居を潜ってからの一連のクライマックスシーンだろう。本当に音の使い方が上手で、何度見ても感動してしまう。

RADWIMPSの『グランドエスケープ』もシーンと呼応し、マッチしている。

 

 

世間と主人公たちの対立構造

 この物語は世間と主人公たちの関係、距離感が大きなテーマになっている。

それは最終的に東京と陽菜のどちらを選択するかという問題に繋がっていく。

 対立構造を描くうえで、『天気の子』では一般人の描写が多く入っている。

序盤では、主人公に冷たくする接する東京の人々が描かれた。

中盤では、天気を晴れにすることで感謝され、人々を明るくした。

終盤では、人柱のおかげで夏が戻ってきたのに、何も知らない人々。線路を走る穂高をバカにする人々など。

彼らの存在が、穂高たちの位置を掴みやすくしてくれている。客観的視点で見たとき、主人公たちはどう見えるのかを、彼らが教えてくれている。

 そして、世間と主人公たちの関係を語るうえで、重要な役割を果たすのが須賀さんである。須賀さんは世間の人々の代弁者としてのシーンが多い。

「人柱一人で狂った天気が戻るんなら、俺は大歓迎だけどね。てか、みんなそうだろ」の発言であったり、クライマックスでは空の世界を否定し、穂高を止めようとする。

最終的には穂高の熱に押され、穂高と自分を重ねて、やっぱり味方についてくれるわけだが。

恐らく『天気の子』は、世間と穂高の対立関係がテーマにあると思う。

そして、世間の代表として穂高に接するのが須賀さんなのだ。

この構図はとても分かりやすいうえに、面白いと感じた。更に言えば、最終的に世間に対立し、穂高に協力する須賀さんの姿はとてもカッコ良かった。

最後ギリギリまで世間代表として穂高に接したが、最後に世間に対立しようとする穂高を後押しした人物が須賀さんなのだ。

 

 

異常気象という題材

君の名は。』に引き続き、天災がテーマとなっている。『君の名は。』は東日本大震災が作品に影響していると前の記事に書いた。

対して、今回は異常気象である。『天気の子』も最近の異常気象が関係があるのかもしれない(発表のタイミングから平成30年7月豪雨とは無関係だろう)。

しかし、『君の名は。』と大きく異なるのは、最終的に災害を防がないという点。

どころか主人公こそが災害を止めなかった張本人である。

 私個人としては『君の名は。』のときのように、人々に元気を与えてくれるような結末を期待していたので、少し残念に思う。(特に令和2年現在では異常気象による被害者の方が多いため、そう思うのかもしれない)

ただ、前作と同様に、人々が関心を寄せる題材であることは間違いない。

 もし、本当に社会問題をテーマとして映画を作っているなら、次作はウイルスに関するものなのかもしれない。そうであったなら、『君の名は。』が震災後の日本を元気づけたように、ウイルス被害後の世界を元気づけられるような作品を期待している。

 

 

まとめ

『天気の子』 はとてもいい作品だった。観客を魅了する力は前作より劣っていると感じたが、前作から進化した点もいくつか見られた。

次作をとても期待している。